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岐阜地方裁判所 昭和49年(わ)35号 判決 1979年2月08日

主文

被告人両名をそれぞれ懲役一年に処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中一八〇日をそれぞれその刑に算入する。訴訟費用中、証人長尾泰彦、同伊佐治義郎、同五十嵐亀夫、同門脇照子、同伊藤健一、同松田浩、同山田かなゑ、同佐々木利恵、同井戸亘八、同長谷部進、同桑畑利武、同松尾貞雄、同波多野賛平、同石原忠男、同村橋節雄、同臼井秋隆、同細井和美、同河合清吉、同酒井健吉、同奥節夫、同吉村俊之、同岩崎直広、同平川信也、同八木康夫、同中川春夫、同矢野勝清、同島岡和光、同岡田博美、同舟橋秀訓、同浅田幸作、同上山滋太郎に支給した分は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人両名は、いずれもいわゆる中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会派)の活動に参加していたものであるが、氏名不詳者一名位と共謀のうえ、同派と対立抗争していたいわゆる革マル派(革命的共産主義者同盟全国委員会革命的マルクス主義派)に同調して学生運動をしていた岐阜大学医学部学生岡本祥成(当時二六才)に対し暴行を加える目的で、昭和四八年一二月九日午後一〇時三〇分ころ、岐阜市佐久間町二六番地山田金蔵方アパート付近に赴き、氏名不詳者一名位と共に、同アパート二階の岡本祥成の居室に侵入したうえ、こもごも所携の鉄パイプ様のもので、同人の頭部、胸部、手、腕、両下腿を乱打する暴行を加え、よって、同人に対し、約五三日間の加療を要する左尺骨・左第二第三中手骨骨折、頭部・胸部・背部挫創、両下腿打撲の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(争点に対する判断)

被告人両名は、本件に関し、捜査公判の全過程を通じて終始黙秘しており、弁護人は、本件証拠の大部分は信用し難いものであって、被告人らを有罪とする証拠は存しないから無罪である旨主張しているので、以下主要な争点について判断する。

一  現場足跡と被告人両名から押収した靴について

1  現場足跡の採取

前掲証拠によれば、岐阜中警察署の警察官長尾泰彦らは、本件発生の翌日である昭和四八年一二月一〇日午前三時四〇分から午前四時五〇分までと、同日午前九時三〇分から午前一一時三〇分までの二回にわたり、判示山田金蔵方アパートにつき、同人の妻かなゑ立会のもとに現場検証を実施したのであるが、その際、検証補助者である鑑識係員桑畑利武らが、同アパートの二階に通ずる階段及び被害者岡本祥成方居室前の廊下(いずれも板張)において、合計一八枚(採取番号1ないし15、16の1ないし16の3)のゼラチン紙に足跡を採取し、このゼラチン紙に立会人山田かなゑの署名押印を得たうえ、同日午前八時ころ、岐阜県警察本部鑑識課技術吏員松尾貞雄に交付されたことが明らかである。

弁護人は、現場足跡採取の際、ゼラチン紙を足跡の上に載せる前に写真撮影をしていないこと、足跡の採取時刻について長尾証言と桑畑証言との間にくいちがいがあること、山田かなゑが足跡を採取したゼラチン紙に署名したか否か判然としないし、仮に署名したとしても採取状況を現認していないのであるから、その署名は足跡採取の信用性を担保するものではないこと、足跡の一個は採取場所が異なることなどの点をあげて、はたして現場に事実足跡が存在したかどうか疑わしいし、存在していたとしてもゼラチン紙に採取されたのか否かの点に疑問があり、「現場足跡」を偽造した疑いさえあると主張する。

しかしながら、足跡そのものの写真が検証調書に添付されていないことの一事をもって、足跡採取について捜査官に作為があったと非難することはできないし、検証の時刻の点についての桑畑証言は、現場に到着したのは一一時ころではなかったかと思うというのであり、到着後屋外で現場保存のために立入禁止のロープを張ることなどの作業を手伝ったというのであって、その後現場検証の補助者として足跡を採取したものと認められるのであるから、同証言と長尾証言との間にくいちがいがあるとは認められない。また、現場足跡採取のゼラチン紙に山田かなゑの署名押印のあることは松尾鑑定書の記載によって明らかであり、桑畑、松尾の各証言によれば、松尾鑑定人は、採取当日の午前八時ころ、岐阜中警察署で右ゼラチン紙を受け取り、直ちに岐阜県警察本部鑑識課に持参し、以後鑑定時まで同人の手もとに保管していたことが認められ、この間にゼラチン紙の足跡が偽造されたと疑うべき事跡は存しない。検証調書において階段から採取したとされている足跡のうちの一個(採取番号6)について、上山鑑定書が二階廊下から採取したものと推測していることは所論のとおりであるが、前記足跡採取の経過に照らし、右推測は一応肯認することができるのみならず、右足跡は、松尾、上山の両鑑定において、対照足跡と符合しないものとされているものであって、およそ偽造すべき理由も必要もないものである。

2  みどり荘で押収した靴(昭和四九年押第五五号の四)

前掲証拠によれば

(一) 被告人萬野は、昭和四八年三月中旬ころから同年一二月中旬ころまでの間、大津市浜町五丁目一六番地みどり荘アパート一階二号室に居住し、同市内の株式会社三寅に勤務していたものである。

(二) 岐阜県警察本部の警察官長谷部進は、昭和四九年一月一二日右みどり荘アパートに赴き、同アパート管理人門脇照子立会のもとに、被告人萬野の居室入口の土間にあったバックスキンの靴を見分し、その靴底が現場足跡から割り出された靴底の写真と類似していることを確認し、翌一三日、岐阜中警察署の警察官伊佐治義郎は、捜索差押許可状にもとづき、右門脇照子立会のもとに、同所で右靴を差押えた。

(三) 右の靴が昭和四九年押第五五号の四の靴(「SANSHI」印二六〇ミリ、黄土色人工皮革製)であり、右門脇照子は、右押収時ばかりでなく、その以前に同アパートの通路等を掃除する際、被告人萬野方居室入口付近にこの靴が置いてあるのを見ており、同アパート一階の居住者にはこのような靴を履くものは被告人以外にいないことが明らかである。同アパート一階の居住者である松田浩も、同被告人の入居当初ころから、色、材質等の点で右靴に類似する靴が同被告人方居室入口付近に置いてあるのを見ており、同被告人の勤務先会社の上司である伊藤健一も、同被告人が色、材質等の点で右押収の靴に類似する靴を履いているのを見ている。

(四) 被告人萬野が本件により逮捕された際はいていた靴(前同押号の五)と前記みどり荘で押収した靴について、犬の嗅覚による臭気判別をしたところ、同一の臭気が付着しているものと判別された。

以上の事実が明らかであり、これらの諸点を総合すれば、前記みどり荘から押収された靴は、被告人萬野が同荘入居時ころから使用していたものと認むべきである。

弁護士は、みどり荘から押収された靴が被告人萬野の靴であると認むべき証拠はなく、とくに犬による臭気判別法については、なんら科学的な裏付けがないものであり、本件の判別はきわめて杜撰で恣意的な方法によるもので証拠とすることのできないものである旨主張する。

しかし、問題の靴がみどり荘において押収される以前にも被告人萬野方入口付近にこの靴が置いてあるのを見たという門脇証言は、その目撃状況からみて十分措信することができ、松田、佐々木、伊藤の各証言はこれを裏付けるものというべきである。また、本件の臭気判別は、犬の訓練士が警察から嘱託を受けて相当の訓練を施したいわゆる嘱託犬を使用し、移行臭物件による予備実験の後、感臭物件四点と共に本件靴を選別台の上に並べて一回目の本実験を実施し、更に並べ順を変えて二回目の本実験を実施したところ、二回共本件靴を選別したのである。この本実験の模様は、これを収録したビデオテープにより確認することができるところであって、右各実験方法は妥当なものであり、実験者が犬を作為的に誘導するなどのことはなかったと認められるのであるから、右判別の結果は信用できるものであって、前記門脇証言等と相俟って、みどり荘から押収された靴が被告人萬野の靴であることを証明するものである。

3  被告人木下から押収した靴(前同押号の六)

前掲証拠によれば、被告人木下は、昭和四八年一二月一七日、京都市内において、道路交通法違反、軽犯罪法違反罪により現行犯人として逮捕され、以後身柄を拘束されていたものであるが、岐阜中警察署の警察官井戸亘八は、昭和四九年一月一〇日、京都市伏見区竹田向代町一三八番地京都拘置所内保安課第一調室において、捜索差押許可状にもとづき、同拘置所会計課長松見倍夫及び被告人木下立会のもとに、同被告人が持参した物品入袋内にあった靴(前同押号の六、「UNION RADIAL」印、薄茶色皮革製)を押収したもので、この靴は、同被告人が右逮捕時ころ使用していたものであることが明らかである。そして、右靴は、靴底の摩耗状態からみて相当長期間使用していたものであると認められる。

4  足跡鑑定の結果

(一) 松尾鑑定

前掲松尾鑑定書及び松尾証言によると、同鑑定人は、現場足跡を採取したゼラチン紙一八枚(鑑定資料(一)、採取番号1ないし15、16の1ないし16の3)について、これが被告人木下から押収した靴(鑑定資料(二))及びみどり荘で押収した靴(鑑定資料(三))によって印象されたものであるか否かを鑑定したのであるが、その結果は次のとおりである。

(1) 資料(一)の3は、重複印象された足跡であるが、そのうちの一個は、資料(二)の靴の右かかと部と「模様の形と大きさ、傷痕の状況」がよく似ており(同鑑定書「別添五」によると、かかと部のブロック型模様の形と大きさが符合し、その模様の間隔の計測値が一致し、ブロック型模様の一つに認められる傷痕が符合する。)、資料(二)の靴によって印象されたものと認められる。

(2) 資料(一)の4は、重複の印象された足跡であるが、そのうちの一個は、資料(二)の右かかと部と「模様の形と大きさ、摩滅の状況」がよく似ており(同「別添六」によると、かかと部のブロック型模様の形と大きさが符合し、その模様の間隔の計測値が一致し、かかと部の摩滅して無模様となっている部分が符合する。)、資料(二)の靴によって印象されたものと認められる。

(3) 資料(一)の16の1は、資料(二)の左と「全体的な輪郭、模様の形と大きさ、摩滅の状況、はき癖による印象状態」がよく似ており(同「別添七」によると、かかと部と踏みつけ部の全体的な輪郭、ブロック型模様の形と大きさ及びつま先の線模様の形と大きさが符合し、その各模様の間隔の計測値が一致し、つま先部先端の摩滅痕が符合し、つま先部の左側縁部の線模様は印象されにくく、右先端の摩滅痕に接する部分の線模様は太く印象される点が符合する。)資料(二)の靴によって印象されたものと認められる。

(4) 資料(一)の16の2は、資料(二)と「模様の形と大きさ」が似ているが、左右の判別は困難であり、資料(二)と同一の銘柄模様のはき物によって印象されたものと認められる。

(5) 資料(一)の4の重複印象された足跡のうちの一個は、資料(三)の左かかと部と「模様の形と大きさ、傷痕の状況」がよく似ており(同「別添八」によると、かかと部の右側端に接する部分の不規則なちらし模様の形と大きさが符合し、かかと部右上角にある傷痕が符合する。)、資料(三)の靴によって印象されたものと認められる。

(6) 資料(一)の10は、資料(三)の左踏みつけ部と「模様の形と大きさ、傷こんの状況、摩滅の状況」がよく似ており(同「別添九」によれば、踏みつけ部の丸模様の形と大きさが符合し、この模様の二か所にある傷痕と三か所にある摩滅痕が符合し、内側縁取り線の左方に太く印象される部分がある点が符合する。)、資料(三)の靴によって印象されたものであることが確認できる。

(7) 資料(一)の11、12は、資料(三)の左踏みつけ部と「模様の形と大きさ」が類似する。

(8) 資料(一)の2、3、5、6、9、10、11、13に現われている桜の花模様の跡は、資料(二)、(三)と異なったはき物によって印象されたものと認める。

(9) 資料(一)の7、14、15、16の3は、不鮮明であるため、対照不能である。

(二) 上山鑑定

前掲上山鑑定書及び上山証言によると、被告人両名の靴と現場足跡についての上山鑑定の結果は、次のとおりである。

(1) 資料(一)の3の現場足跡の一個と資料(二)の対照足跡とは一応よく符合し、計測値も一致しているが、問題の傷痕部分が現場足跡ではやや不明瞭であることを考慮すると、この現場足跡は、資料(二)の右かかと部によって印象された可能性があると判断するのが妥当である。

(2) 資料(一)の4のブロック模様の現場足跡は、その前端部の輪郭や横線間の間隔、後端部の摩滅部に相当する斑点などが、資料(二)の対照足跡と一応よく符合してはいるが、これが資料(二)による足跡であると断定を下すには、現場足跡がやや不鮮明であり、対照足跡にある特徴点を照合し得たとすることはできない。この現場足跡は、資料(二)の右かかと部で印象された可能性があると考えるのが妥当である。

(3) 資料(一)の16の1は、踏みつけ部の先端部分(横線部分)の輪郭、線の太さ、線の数、線と線との間隔などの固有特徴が資料(二)の左と符合する。この現場足跡は、資料(二)の左靴によって印象されたものである。

(4) 資料(一)の1は、資料(二)と縁取り線が太くなっていること(摩滅痕を示す)、二重の縁取り部分の間隔の計測値が一致するから、資料(一)の1の足跡は資料(三)の左踏みつけ部によって印象された可能性がある。

(5) 資料(一)の4のうちのちらし模様の足跡については、松尾鑑定に全面的に同意する。この現場足跡は資料(三)の左かかと部によって印象されたものである。(一)の4の他の足跡は資料(三)の右踏みつけ部によって印象された可能性がある。

(6) 資料(一)の10のうちの一個についても、松尾鑑定に同意する。この足跡は資料(三)の左踏みつけ部によって印象されたものである。

(7) 資料(一)の2の一個、10の一個、16の2の一個は、資料(二)と同種類の靴底模様を持つはき物によって印象された可能性がある。

(8) 資料(一)の3の数個、5の数個、11の一個、12の一個、16の2の二個は、資料(三)と同種類の靴底模様を持つはき物によって印象された可能性がある。

(三) 弁護人は、足跡鑑定の現段階の水準においては、その鑑定結果は鑑定者の勘に頼った「似ている」という主観にすぎず、その結論に対しては勿論、結論に至るまでの経過に対しても客観的な批判の方法がないのであるから、僅かでも誤りの可能性があるかぎり同一性の判断を避けるべきである。しかるに、本件両鑑定人とも右のような認識を欠いており、鑑定の作業経過においても、現場足跡と対照足跡の類似性が偶然によるものか否かの検討がなされておらず、事実認定の基礎資料とすることのできないものである旨主張する。

足跡鑑定が鑑定人の経験や勘に頼るところがないとはいえないことは所論のとおりであり、その鑑定方法及び鑑定結果については、十分吟味しなければならないことはいうまでもない。そこで、まず、松尾鑑定についてみるに、松尾鑑定書及び松尾証言によると、同鑑定人は、前記(二)(三)の靴の裏にポマードを薄く塗り、同人がその靴をはいて板の上に置いた白紙の上を歩き、紙上についたポマードの足跡の上に黒色の粉末を振りかけるという作業を一足について約一〇回くりかえして対照足跡資料を作り、ゼラチン紙に採取された現場足跡と対照足跡とを足跡転写レリーフ照明機を使用して対照し、それぞれの模様の特徴、模様の形と大きさ、傷痕・摩滅痕等の個有痕及び全体の輪郭について、間隔を計測するなどして符合の有無を照合したものであること、また、右ゼラチン紙の足跡を写真に撮り、この写真と対照足跡の写真とに符合個所、計測値等を記入し、更に符合個所を対照し易くするため重合対照写真をも作成してこれらを鑑定書に添付したものであることが明らかである。右鑑定方法は、上山鑑定によっても支持されているところであって、妥当な方法であると認められ、右各写真による説明も十分首肯し得るところである。次に、上山鑑定書によると、同鑑定人に送付された現場足跡のゼラチン紙は、時日の経過により付着していた土砂(足跡)の一部が離脱していて鑑定資料として使用することができなかったので、現場足跡の写真(前記松尾鑑定人撮影の現場足跡の写真を指すものと解される)及びそのネガから作成した原寸大の写真を鑑定資料としていることが明らかであり、このため「現場足跡」と対照足跡との十分な対照ができなかったものと考えられる(上山鑑定は、鑑定資料(一)の3の一個及び4の一個について、現場足跡がやや不鮮明であるとしているが、原資料であるゼラチン紙に採取した足跡とその写真とでは鮮明度に相違があると考えられる。)。したがって、上山鑑定については、右のような資料上の制約のもとでなされたものであることを考慮して、その鑑定結果を評価すべきであり、とくに「現場足跡」が不鮮明であることを理由とする鑑定部分は、そのまま採用することができない。

以上によれば、松尾鑑定は、その方法、内容からみて信用するに足りるものであり、上山鑑定も松尾鑑定を支持する部分に関するかぎりとくに疑問をさしはさむべき点は見出し難く、この両鑑定を総合すると、本件現場足跡のうち、採取番号4、10の各一個は鑑定資料(三)(被告人萬野の靴)によってそれぞれ印象されたものであり、同16の1は鑑定資料(二)(被告人木下の靴)によって印象されたものと認めることができる。そして、両鑑定によると、同4、10の各一個と(三)は、左かかと部と左踏みつけ部に存在する傷痕、摩滅痕等が符合することが明らかであり、また、両鑑定によると、同16の1と(二)は、左かかと部と左踏みつけ部に存在する摩滅痕等が符合することが明らかであるうえ、松尾鑑定によると、このほかに同3、4の各一個と(二)は、右かかと部の異なる位置に存在する傷痕、摩滅痕等が符合することが認められるのであって、このように各靴底の異なる位置に右各現場足跡と符合する個有痕等が数個存在することから判断すれば、同4、10の各一個は(三)の靴によって、同3、4の各一個と16の1は(二)の靴によってそれぞれ印象されたものと断定することができる。

二  本件犯行後現場から逃走した自動車について

前掲証拠によれば、以下の事実が認められる。

1  本件現場である山田金蔵方アパートのある建物は、幅約六メートルの道路(通称佐久間通り)の東側にあり、道路に接する表部分は貸事務所になっていて、その奥がアパートになっている。右佐久間通りは、裏通りで交通閑散なところであり、深夜は車両の交通がほとんどない。

2  山田金蔵方アパートの南隣りの住家二階に住んでいた舟橋秀訓(大学生)は、本件犯行当夜一〇時三〇分ころ、同アパート二階の方でガラスの割れるような音がしたのを聞き、その一、二分後に、階段をかけ降りて西側道路(佐久間通り)の方へ出て行く数人の足音が聞こえ、つづいて同道路の方に物音が聞こえたので同道路に面するガラス窓を開けて見ると、右山田方建物の北隣りの大野佛壇店前付近の同道路を北に向かって進行中の自動車を目撃した。この自動車は、白っぽい色の普通乗用自動車であり、その速度は時速一〇キロメートル位で、発車して間もないと思われるような速さであった。

3  岐阜県北方警察署の警察官臼井秋隆は、本件発生当日の午後一一時一〇分から翌一〇日午前二時一五分までの間、本件捜査のための緊急配備命令にもとづき、同県本巣郡北方町北方地内岐阜農林高校前付近の国道三〇三号線において、岐阜市方面から揖斐川町方面に向かう西行車両の検問を実施したのであるが、その間の午前一時二五分ないし一時三〇分ころ、「滋五五な五五四一」の車両が西方に向かって走行しているのを現認した。

4  京都府五条警察署高辻派出所の警察官岡田博美らは、昭和四八年一〇月二四日、京都府下京区寺町松原上る付近の住民から駐車違反の車両がある旨の苦情申告があったので捜査したところ、同所付近の駐車禁止の道路に「滋五五な五五四一」の車両が駐車しているのを現認し、間もなく付近(松原上る京極町四九七番地)の革命的共産主義者同盟前進社京都支局から出て来た堤次郎が駐車違反をしたことを認めた。

5  「滋五五な五五四一」の車両は、車体が白色の普通乗用自動車で、昭和四七年七月ころ被告人萬野の父勝(同被告人の本籍に居住)が購入し、以後同被告人が使用していたものであるが、同四九年二月二日氏名不詳の男が同車のキーを勝方に返還し、翌三日、岐阜中警察署の警察官細井和美らが、萬野勝方近くの神社境内に同車が放置されているのを発見し、これを押収した。

6  被告人萬野は、後記のとおり、昭和四八年一二月一七日、京都市内において、いわゆる中核派の活動に参加していた際、別件により現行犯人として逮捕された。

以上の事実によると、右自動車は、被告人萬野が右逮捕時ころまで使用していたものであるが、その間前進社京都支局付近で使用されたこともあること、この自動車が本件犯行の約三時間後に岐阜県北方町内を西方に向って走行していたこと、本件犯行直後犯人が現場から逃走する際使用した自動車は、右自動車とその種類や車体の色などがよく似ているものであることが明らかである。

三  動機について

1  被害者岡本祥成は、本件当時岐阜大学医学部専門四年生であったが、昭和四六年前期の同医学部自治会の執行委員をするなど学生運動家として活躍し、そのころ岐阜県内のいわゆる革マル派の活動に参加していたものであり、同人は、本件は革マル派と対立している中核派の者が実行したものであると思う旨述べている。

2  被告人木下は、昭和四七年ころから前記前進社京都支局内に寝泊りしており、同四八年秋ころには母に対し「革マルが俺をねらっているので危い」などともらしていた。

3  被告人両名は、本件発生後間もない昭和四八年一二月一七日、京都市内において道路交通法違反罪等により現行犯人として逮捕されたのであるが、その際、革マル打倒(あるいはせん滅)と書いたヘルメットや鉄パイプを所持し、「革マルを完全に打倒し」とか「同志虐殺弾劾、報復貫徹」などと記載した「革共同」のビラを電柱に貼っていた。

4  昭和四八年一二月一六日、京都府五条警察署の警察官が、別件により前記前進社京都支局を捜索した際「軍報12・10」が押収され、同日大阪市内の前進社関西支社においても、同年一二月一〇日付の軍報が押収されたのであるが、この軍報には、本件について、中核派の行動隊が報復のため攻撃を加えたものである旨表明されていた。

以上の事実は前掲証拠によって明らかなところであり、これによれば、本件は中核派の構成員もしくはその同調者の犯行であること、被告人両名は、本件の前後ころ、中核派の活動に参加し、革マル派の構成員もしくはその同調者に対し攻撃を加える意図を有し、当時行動を共にしていたことが容易に推認できる。

なお、検察官は、前記軍報(関西支社で押収のもの)は被告人木下が作成したものであると主張し、酒井鑑定書は、前記軍報の筆跡と被告人木下自筆の対照筆跡は同筆と認めるとしている。しかし、右軍報が特異な筆跡であり、文字の概形及び文字の部分において対照筆跡と相違した点が検出されることは同鑑定自体においても認めるところである。同鑑定は、右の相違は軍報の筆者が通常の場合と筆法を変えたことによるものであるとするが、両者の筆法に相違があることの理由の説明としては、いささか不十分であるといわざるを得ず、右鑑定の結論は採用することができない。

四  以上によると、被告人両名は、被害者に攻撃を加える意図を有し、共に行動していたものであること、本件現場には被告人両名が本件発生の前後ころ使用していた靴の足跡が存在すること、本件犯行直後、犯人は自動車で犯行現場から逃走しているのであるが、それから約三時間後に、犯行現場からそれほど遠くない場所において、被告人萬野が本件発生の前後ころ使用していた自動車(右犯行現場の自動車と同色、同種の自動車)が、犯行現場方面から関西方面に向かって走行していたことが明らかであるところ、右靴及び自動車が他人に貸与されていたなどの特段の事情は認められないから、この靴及び自動車は、本件発生時ころにおいても、被告人両名がそれぞれ使用していたものと認むべきである。そうすると、本件現場の足跡は被告人両名のものであるというべきであり、犯人が本件犯行現場から逃走する際使用した自動車は被告人萬野が当時使用していたものであると推認すべきであって、以上の事実を総合すると、被告人両名は本件を実行した犯人であると断ぜざるを得ない。

(法令の適用)

被告人両名の判示所為中、住居侵入の点は刑法六〇条、一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、傷害の点は刑法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、住居侵入と傷害との間には手段、結果の関係があるので、刑法五四条一項後段、一〇条により一罪として重い傷害罪の刑で処断し、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人両名をそれぞれ懲役一年に処し、被告人両名に対し、同法二一条により未決勾留日数中一八〇日を右各刑に算入し、訴訟費用中主文三項掲記の証人に支給した分は、刑訴法一八一条一項本文、一八二条により、被告人両名の連帯負帯とする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊澤行夫 裁判官 伊東武是 裁判官大澤廣は、出張のため、署名押印できない。裁判長裁判官 伊澤行夫)

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